写真や思い出の物の整理|想い出はしまい込む事ではなく心のアルバムに綴じておくもの

人はなかなか思い出を捨てられないものです。
写真、昔着ていた服、人からもらった物(プレゼント、お土産)、晴れ着、親から譲り受けた物など。
大好きだったアイドルの写真集、ポスター、グッズ。
若い頃に集めていたアナログレコード。
家の中には、「思い出」と名のつく物がたくさんしまい込まれています。
だけど、今は使っていないし着ていない物たちです。
そろそろ、処分しようと思っても簡単には捨てられませんよね。
私は過労死しかけた後遺症で記憶障害を負い、過去の記憶を一部分失くしています。
「思い出」と云う大切なモノを失ったからこそ見えてきたモノがあります。
思い出の物が処分できない方にお役に立てれば幸いです。
目次
記憶障害で記憶や思い出を失くして気がついたこと
私は約20年前に過労が原因で、ある日突然死を彷徨いました。いわゆる、過労死とか突然死と言われるものです。
だけど、閻魔さまから追い返されたのか、神様がもう一度命を授けていただいたのかは分かりませんが奇跡的に再生しました。
この世に戻ってきても、しばらくは身体がピクリとも動きませんでした。正常な身体に戻るまで、約3ヶ月間のリハビリを要しました。
ただ、通常の暮らしに戻り生活している中で自分の中の違和感に気がつきました。
あれ?思い出せない!
人と昔話をしている中で、一部分がどうしても思い出せないのです。
最初は物忘れだろうって思っていたんですが、同じ事が度々起こるようになったのです。
病院の専門医に診てもらうと、過労死の時の後遺症で脳の記憶機能に障害を持ってしまっていることが分かりました。
何とか記憶を取り戻したくて、催眠療法なども行いましたが無駄でした。脳の中に記憶は残っているけど、思い出すための回路が壊れているため治療は不可能だと言われました。
事実を知った私はさすがに落ち込みました。
大切な記憶や思い出が消えて無くなったのかと。
ただ、完全に全ての記憶を思い出せない記憶喪失ではないし、生き返ってきてからの記憶が失われてはいなかったのはまだ幸運でした。
そして私は気がつきました。
記憶や思い出は消えてなくなっているわけじゃないんです。
思い出せないだけなんです。
これって、誰にでもあることですよね。
年齢を重ねていくと、物忘れはひどくなっていきますからね。
そう考えると、私の気持ちは楽になってきました。
この事に気がつかせていただいた私の恩人は日野原重明先生でした。
日野原先生との運命の出会いが私の人生にもう一度光を照らしてくれました。
日野原先生は、東京の聖路加病院の医師でした。昨年の2017年7月18日に亡くなられました。
105歳まで現役の医師を務められました。
偶然に私は日野原先生にお会いしお話できる機会をいただきました。
お忙しい方ですし、普通は私なんかが直接お話しできる機会はありません。あれは、きっと神様が与えてくれた運命の出会いだったんだろうと感じています。
先生はお忙しい中、30分も時間を割いて私とお話をしてくださいました。
先生、私は過労死の後遺症で記憶障害になってしまいました。
大切な思い出や記憶が一部思い出せません。
悲しくて時々辛くなることもあります。
そうなの、それは辛い思いをしてきたね。
でも、よく戻ってきてくれたね。
ありがとう。
でもね、確かに辛いこともあるかもしれないけど、君はこうして生きている。
君はどこで生きてるの?
過去かい? 未来かい? 今かい?
今です。
そうだよね、今を生きてるんだよね。
それじゃあダメなの?
君は間違いなく僕の目の前に居て生きている。
それで充分じゃないの?
確かに思い出や記憶は大切なモノです。
時々は思い出して懐かしんだりしてね。
だけど、僕たちは過去でも未来でもなく、今を生きているんだよ。
今を大切に生きなさい!
今日と云う時間を大切にしなさい!
今日で会う人、今日やることを大切にしなさい!
今日を楽しく愉快に生きなさい!
お互い笑って楽しく生きようじゃありませんか!
私のために先生は真剣に応えてくださっていました。
先生の言葉で涙が溢れてきました。
先生のおっしゃる通りで、自分は何をクヨクヨしてたんだろうって感じました。
さらに、先生はこうおっしゃいました。
君は大切な思い出が消えたと悲しんでるけど、僕にはそうも思えないんだけどね。
人間の記憶や思い出って、忘れたくても忘れられすに、辛い思いをすることもあるよね。
君はそんな記憶や思い出も一緒に消えてくれたと思ったらラッキーでしょ!
ジョークも大好きな先生はユニークたっぷりに私を和ませてくださいました。
一気に、私の目の前には光がさしてきました。
私たちは「思い出」や「記憶」の中で生きているのではありません。
今を大切に生きていくことが一番大切なこと。
今日また新たな思い出や記憶が作られる。
そして、また明日がやってくる。
今日は先生の命日です。
遠い空の下で手を合わせてお祈りしました。
佐藤君、今日も楽しく生きてるかい?
先生の声が聞こえてきた気がしました。
思い出は形ある物には宿らない!
人は、「思い出がくっついてるから捨てられない」とか「思い出が宿っているから処分できない」って言います。
だけど、それは違うと思います。
思い出が宿っている場所は、目に見える形ある物にではなく、あなたの心の中に宿っているのです。
私は先ほど、日野原先生との思い出の話を書きました。
だけど、日野原先生との写真を見ながら思い出したわけじゃありません。「日野原先生」という名前だけで、両手に抱えきれないほどの思い出がこみ上げてきます。
目の前に何も無くても、何も見なくても、思い出は時々「こんにちは」って現れてきます。
「あの人どうしてるかな?」って。
同時に、一緒に旅行に行った思い出とかが甦ってきます。
思い出が消えないように形ある物で取っておこうとしているのでは?
思い出自体には形はありません。目には見えません。
だから人は不安になります。目に見える物しか信じられないからです。
そのため、形のある目に見える物で思い出が消えないように担保にしてしまうのでしょう。
思い出はしまい込むモノではなく、心のアルバムに綴じておくモノです!
思い出を形ある物で取っておこうとするので、押入れやクローゼット、納戸に物置にしまい込みます。
しまい込んだ物はもう目にする機会を失います。
そうした行為は、はたして思い出を大切にしているってことでしょうか?
むしろ、思い出を粗末に扱っているのではないでしょうか?
思い出は、物と云う形のままでしまい込むモノではありません。
思い出は、心の中のアルバムの中に綴じておくモノではないでしょうか?
その行為こそが、思い出を大切にしていると言えるのではないでしょうか?
誤解のないようにお願いします。
私は写真などの思い出の物を全部捨てましょう!と申し上げているわけではありません。
自分にとって本当に物で取っておきたい物と、そうじゃない物に厳選していただきたいのです。
思い出も思い出の物も全部思い出す事なんてできないのですから。
ポケットの中の思い出はこぼれたりしない。
私が小学校3年生の時に家庭の事情で落ち込んでしまった時期がありました。
いつしか両手をポケットに入れて下を向いて歩くようになっていました。
その時、男の先生から「佐藤、ポケットから手を出しなさい!」って怒られました。その時には手を出しますがまた手を入れてしまっていました。
するとまた「佐藤、手を出せ。何度言ったら分かるんだ!」って怒られたんです。すると、横にいた担任の女性の先生が私にこう言ったんです。
「佐藤君、こぼれたりしないから大丈夫よ。」って。
私はえっ?って先生の方を向いたら、
「ポケットに佐藤君の大切な思い出とか思いがいっぱい入っているんでしょ?でも手を出してもこぼれたりしないから大丈夫だから。」って言ってくれたんです。
その言葉と先生の顔がとっても温かくて、今でも覚えています。
私は先生のお陰で、手をポケットに入れることはなくなり、前を向いて歩くことができました。
思い出を形ある物でため込んでいくと、いつかは押入れも物置もいっぱいになって溢れてこぼれていきます。
もうそれ以上しまい込めなくなります。
でも、心のアルバムや部屋はいくらでも収められます。
思い出ある物を小さな形にして取っておく方法
先程申し上げた通り、私は思い出の物を全部いらないから処分しましょう!と言っているのではありません。
私にも形ある物で取っておきたい物があります。
だけど、できるだけ小さな形にして取っておくように心掛けています。
写真にして取っておく
目に見える物体で取っておくと、どうしても収納スペースが必要になってきます。
だからと言って捨ててしまうのは不安な時は、写真を撮ります。
中学生の時にはじめて自分で買って、指から血が出るほど練習したギターは青春の思い出です。だけど、もう壊れて弾けないし手放そうと思いました。
そのギターは今、写真とともに私の心の中のアルバムの中にも残っています。
バブルの時に高いお金を払って買ってたスーツやジャケット。鎧のような肩パットが入ったものです ^^
リサイクルショップに持っていいても値段はつきませんでした。
そこで、写真を撮って、さらにブランド名のところの生地の部分だけ切り取っています。
イケイケでバリバリ仕事をしていた頃の思い出は、小さな形で残っています。
小さな形になっても、それを見れば思い出はよみがえってきます。
私の心の中のアルバムにはちゃんと綴じられていることに気がつきます。
私はそれで充分です。
最後に
記憶を一部失ったけど、全部が消えてなくなったわけじゃない。
心の中のアルバムに残っている思い出を大切にしていきます。それらの思い出とともに生きていきます。
今を大切に生きる、今日を楽しく生きる、そしてまた新たな思い出が生まれる。
日野原先生は今でも私の心の中のアルバムの中で生きていらっしゃいます。
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